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新しい家族

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8月のある日、外でネコの泣き叫ぶ声が聞こえるので、妻が外に見に行ったところ、生まれて間もない子ネコが捨てられているのを見つけ保護しました。どうやら家の近所にいる親ネコ(のら)が「育児放棄」してしまったようでした。わたしたちは元々ネコは好きだったのですが、時折泊りで出張することもあって世話ができないので、それまで家ではまったく飼うつもりはなかったのです。最初は、「やむを得ず」ということで飼い始めましたが、外泊するときは教会員でネコ好きの人にお世話を頼むことができ、なんとか家で飼い続けることができるようになりました。今では大切な家族の一員となっています。名前は「とらじろう」、男の子です。どうぞお見知りおきください。


まことの平安に生きるには

「まことの平安に生きるには」

  日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕されたというニュースは、世界中の人々を驚かせました。何十億円とか100億円とかの所得を不正に隠していたとメディアで報じられています。わたしたち庶民にとってそのような大金は、縁遠いものですが、報道が事実とするならば、年収10億円の収入があってもなお満足できずに、それ以上の利益を得ようとしていたとは驚くばかりです。10億円をもらっていてもなおその額に満足できなかったとは、われわれ庶民の感覚ではなかなか理解できません。しかし、わたしたちもゴーン会長のことを他人事と考えることはできません。わたしは、宝くじで1億円当たって不幸になった人の話を何かで読んだことがあります。その人は、それまではサラリーマンとして普通の暮らしをしていたのに1億円という大金が転がり込んできたために、会社を辞め、慣れない事業を始め、その事業に有り金を使い果たした上に家族関係や人間関係も壊してしまったということです。人間の欲には際限がありません。特に金銭の欲求はそうです。食欲ならば満腹すれば欲が満たされ、それ以上に食べようとは思いません。しかし、金銭の欲求には限りがありません。ときおり怪しい投資話に乗っかって大損する人の話がニュースになります。1000万円を持っていてもそれに満足できずに、もっと増やそうと思って怪しい投資話にひっかかって欺されてしまう人が絶えないのです。浅はかとしか言いようがありませんが、わたしたちももし大金が転がり込んできたら、もっと増やそうと思って欺されないとも限りません。それほどに金銭欲というのは恐ろしいのです。「知足按分」という言葉があります。老子の言葉だそうですが、意味は「満足することを知らないと、どんなに豊かであっても安らぐことがないということ」(大辞泉)です。聖書では金銭の欲求については警戒するように呼びかけています。
 「金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。 金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。(テモテへの手紙一6章9~10節)」
 ここで言われているのは、おカネそのものが悪なのではなく、金銭の欲に支配されて信仰を捨てるようなことがあっては…

うれしいこと

「うれしいこと」

 きのうの祈り会に新たに一人の方が来てくださいました。11月3日に開かれた伝道開始100周年記念コンサート・講演会に来てくださったことが、きっかけだったとか。とてもうれしく思いました。伝道は困難なことが多いのですが、このたびのことで、困難の中にあってもあきらめることなく努力していくならば、伝道の業は確実に前進していくということを思わされた次第です。

取材を受けました。

「取材を受けました」

 きょう地元のケーブルテレビ局の取材を受けました。12月1日から15日まで毎日15分間「あちこちなっち」という番組の枠で放映されるそうです。教会の歴史やパイプオルガンについてインタビューを受けました。インタビューアーのSさんのお母さんがかつて日曜学校に通っていたことがあり、お父さんは東北学院大学出身だそうで、わたしの話を興味深く聴いてくれてうれしく思いました。

掲載されました。

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先日開催された伝道開始100周年記念コンサート・講演会の記事が、地元紙の「苫小牧民報」に掲載されました。写真の撮影と取材は、同紙の石井翔太記者です。


がんばらない

「がんばらない」

 先日福岡県で女子駅伝の大会があって、ひとりの選手が、レース中に骨折して走れなくなり、中継地点の200メートル手前から四つん這いになって進み、やっと中継地点までたどり着いたというニュースをテレビで観ました。このことについては、世間では「よくそこまでがんばった。あっぱれ」という賞賛の言葉と「ちょっとやり過ぎ。なぜすぐに止めさせなかったのか」という非難の言葉が入り交じっているようです。いずれにしてもそのニュースをテレビで観て、わたしは「がんばる」という言葉が思い浮かびました。「がんばる」という言葉を、わたしたちはよく使います。「がんばりましょう」とか「がんばってください」などとあいさつのように使います。「がんばる」という言葉の意味は、手元の辞書によると「困難にめげないで我慢してやり抜く」(大辞泉)ということだそうです。駅伝の女子選手もそういう意味ではまさに「頑張った」ということなのでしょう。しかし、以前、病気で入院している人たちにとって、「がんばってください」ということばを掛けられるのは辛いことだという話を聞いたことがあります。「がんばって」という何気ない気持ちで発した言葉がときには人に必要以上にプレッシャーを掛ける場合があります。この駅伝のニュースを観て、わたしは、イエス様は果たして「がんばって」という意味のことをおっしゃっただろうかと考えさせられました。イエス様は、「悔い改めよ」「互いに愛し合いなさい」ということはおっしゃいましたが、「頑張れ」ということはおっしゃらなかったのではないでしょうか。「頑張る」ということは、自分が、自分の力で何かを成し遂げるということが基本になっているように思えます。イエス様の時代に「頑張れ」と言っていたのは、律法学者と呼ばれる人たちだったのではないでしょうか。彼らは、律法を完璧に守ることによって神の救いが得られると考え実践していました。しかし、世の中には律法学者たちのような人たちばかりではありません。頑張ろうとしても頑張れない人たちもいます。その人たちはどのようにして救いに与れる(あずかれる)のでしょうか。イエス様は「神の律法を完璧に守れないなら救いには与れない」とはおっしゃいませんでした。「神の国は、幼な子のような者たちのものである」(マル…

伝道開始100周年記念コンサート・講演会

本日恵みの内に伝道開始100周年記念コンサート・講演会を開くことができました。予想を超える参加をいただきとてもうれしかったです。伝道開始100周年を記念するにふさわしいコンサートと講演会でした。一年以上前から準備を進め、9月8日に開く予定でしたが、残念ながら直前に地震が発生し、中止のやむなきに至りました。しかし、そのような困難を乗り越えて、きょうとても素晴らしい演奏と講演を聴くことができたことは教会員にとりまして望外の幸せです。加えて、コンサートの中で讃美歌を聖歌隊の皆さんと来場者全員で声高らかに歌うことができ、とてもうれしく感激いたしました。これからは御心に適って教会の新たな歴史をつくるべく、福音の宣教と教会形成にますます励んで行きたいと思います。奉仕してくださった青山学院大学の伊藤先生を始め、指揮者の那須先生、オルガニストの身﨑先生、聖歌隊の皆さんに心から感謝いたします。