まことの平安に生きるには

   「まことの平安に生きるには」
                                      
  日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕されたというニュースは、世界中の人々を驚かせました。何十億円とか100億円とかの所得を不正に隠していたとメディアで報じられています。わたしたち庶民にとってそのような大金は、縁遠いものですが、報道が事実とするならば、年収10億円の収入があってもなお満足できずに、それ以上の利益を得ようとしていたとは驚くばかりです。10億円をもらっていてもなおその額に満足できなかったとは、われわれ庶民の感覚ではなかなか理解できません。しかし、わたしたちもゴーン会長のことを他人事と考えることはできません。わたしは、宝くじで1億円当たって不幸になった人の話を何かで読んだことがあります。その人は、それまではサラリーマンとして普通の暮らしをしていたのに1億円という大金が転がり込んできたために、会社を辞め、慣れない事業を始め、その事業に有り金を使い果たした上に家族関係や人間関係も壊してしまったということです。人間の欲には際限がありません。特に金銭の欲求はそうです。食欲ならば満腹すれば欲が満たされ、それ以上に食べようとは思いません。しかし、金銭の欲求には限りがありません。ときおり怪しい投資話に乗っかって大損する人の話がニュースになります。1000万円を持っていてもそれに満足できずに、もっと増やそうと思って怪しい投資話にひっかかって欺されてしまう人が絶えないのです。浅はかとしか言いようがありませんが、わたしたちももし大金が転がり込んできたら、もっと増やそうと思って欺されないとも限りません。それほどに金銭欲というのは恐ろしいのです。「知足按分」という言葉があります。老子の言葉だそうですが、意味は「満足することを知らないと、どんなに豊かであっても安らぐことがないということ」(大辞泉)です。聖書では金銭の欲求については警戒するように呼びかけています。
 「金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。 金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。(テモテへの手紙一6章9~10節)」
 ここで言われているのは、おカネそのものが悪なのではなく、金銭の欲に支配されて信仰を捨てるようなことがあってはならないということです。問題はおカネの使い方であり、おカネは手段に過ぎないということをわきまえないといけないのです。そしてわたしたちはおカネの力に支配されてはならないのです。
 「物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。(フィリピの信徒への手紙4章11~12節)」
「 だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。(マタイによる福音書6章24節)」
 わたしたちは弱いので、おカネを神として偶像崇拝してしまうのです。おカネという誘惑の力は大きいので、その危険性が大いにあるのです。おカネに限らずわたしたちは神ならぬもの(おカネ、地位、名誉、自分の考え、自分の欲望・・・)を神として拝んでしまう誘惑に陥らないよう常に祈って行かなければなりません。
「彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。(フィリピの信徒への手紙3章19節)」
 わたしたちが唯一の神を拝むとき、わたしたちにまことの平安が与えられます。神以外のものを拝んでもわたしたちにまことの平安は得られないのです。持っているもので満足し、すべては神からの恵みと感謝して歩めるようにいつも祈って行きたいと思います。
「 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6章31~33節)」

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